饅頭

起源説等
[編集]日本の饅頭の起源には2つの系統がある[1]。ひとつは臨済宗の僧龍山徳見が1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)に帰朝した際、その俗弟子として随伴してきた林浄因が伝えたとするものである[1][2][3][4]。当初は禅宗のお茶と食べる菓子として饅頭を用いる事を考えたものの、従来の饅頭は肉を入れるため、代わりに小豆を入れた饅頭を考案されたと言われている[8]。浄因の示したより詳しい製法というのは、「老麺」といって水と小麦粉を練った発酵種を生地に練りこんだ皮を使い、甘葛(アマヅラ)の甘味[注 1]と塩味で小豆餡をくるんだものであったという[9]。その後、奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬という店を立てたことから、漢國神社内の林神社と呼ばれる饅頭の神社で、菓祖神として祀られている[10][11](塩瀬饅頭を参照)。
もうひとつの系統は、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年(仁治2年)に南宋に渡り学を修めた円爾が福岡の博多でその製法を伝えたと言われる[1][12]。円爾は辻堂(つじのどう=現・博多駅前一丁目)に臨済宗・承天寺を創建し博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われる。このときに茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今では東京・赤坂の虎屋にある[12]。奈良に伝わった饅頭はふくらし粉[注 2]を使う「薬饅頭」で[6]、博多の方は甘酒を使う「酒饅頭」とされる[1]。
伝来当時は現在の饅頭につながる甘い饅頭と、主として野菜を餡とした菜饅頭の二種類が存在していた。後者は現在の肉まんに近い物と考えられているが、仏教の影響もあって、近世までの日本ではもっぱら野菜が餡として用いられた。仏教寺院ではいわゆる点心の一種類とみなされ、軽食や夜食として用いられていた。しかし、米飯や麺類が主食として存在し、とくに麺類(うどん、そば、素麺など)が早くから軽食として存在した一般社会では、製法の煩雑さなどからほとんど定着せず、甘い饅頭や麺類のように菜饅頭を専門の業者が製造する事もなかった。ただ、寺院における食事の記録には記載されている事が多く、江戸時代に入っても『豆腐百珍』に「菜饅頭」として製法が記載されている事から、寺院等では軽食として長い間食べられていたようである。
いずれにしてもこれら中近世ごろまでに日本に定着した後、餡や皮の製法にさまざまな工夫が凝らされ種々の饅頭が作られるようになった。
またそれより後にも、江戸時代以降に南蛮菓子や中国菓子の製法として焼き菓子の製造技術が日本に伝播した。この技術が饅頭にも応用され、焼き饅頭と呼ばれる日本独特のジャンルが生まれた。日本風の焼いて作る饅頭は台湾でも「日式饅頭」、「日本饅頭」と称して製造されている。
近世以来、関東地方の家庭料理として練った小麦粉で豆や味噌や野菜の餡をくるんだものをお湯で茹でて作るゆで饅頭がある。ゆで饅頭の食感は饅頭というよりも団子に近く、その製法も現代の饅頭の定義からは外れるが、おやきの調理法を変化させることで本物の饅頭の代用として作られたものとも言われ[13]、ゆで饅頭が重曹の普及とともに炭酸饅頭や田舎饅頭といったふかし饅頭に発展したと考える研究もある[13]。
近代以後には大陸側との通行が活発化したことで、在日華人などを通じて当時の饅頭(マントウ)や包子(パオズ)の知見が再導入され、これらを基に厚めでふわっとした皮の中華まんが作られたとされる。現代のカレーまん、ピザまん、バナナまんなどは無論のこと餡まんも、近代以後の中国ではマントウは主に具無しのもので、包子にしても甘い豆餡はあまり一般的ではなく、基は日本の饅頭である。特殊な事例として愛媛県の労研饅頭があり、これもマントウを起源とするが(同項参照)、こちらは和菓子の分類に入れられる事が多い。
和菓子としての饅頭
[編集]饅頭の製法としては蒸し饅頭(最終工程で蒸し上げたものの総称)が一般的で、酒饅頭, そば饅頭,利休饅頭, 薄皮饅頭などが含まれる[14]。
生地の種類
[編集]最も一般的な饅頭は、小麦粉を生地にしたタイプの蒸し饅頭だが、同じ小麦粉生地でも、酒種を練りこんで生地を発酵させた場合は「酒饅頭」と呼び、このほか皮にヤマイモ(つくね芋)を練りこんだ薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう、以下参照)がある[15]。
- 茶饅頭
- 茶饅頭とは、基本は小麦粉、黒砂糖、膨張剤を用いた生地に餡子を包んだ饅頭だが、各地にさまざまなバリエーションがある。利休饅頭(大島饅頭)、温泉饅頭、薄皮饅頭などとも呼ばれ[要出典]、観光地(特に温泉街)でのおやつやお土産にも好んで用いられる。
- 薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)
- すりおろした薯蕷(漢語でナガイモをさす)の粘りを利用して米粉(薯蕷粉、上新粉)を練り上げ、その生地で餡等を包んでしっとりと蒸し上げた饅頭。上用饅頭とも当て字され、十五世紀に日本に饅頭を伝えた林浄因からとられた名の訛りだとも伝わる[16]。このナガイモ(「つくね芋」)を使うことで、皮をふっくらさせる[17]。茶席で使われる主菓子(おもがし)のひとつである。
- 『守貞謾稿』に当時近年、京大阪で作られ始めたヤマノイモを皮に使った饅頭とある[2]。現代の商品もヤマノイモを使うと表示されるが、じっさい使われる薯蕷にはつくね芋(京都地方)、大和芋(関東)[18]、伊勢芋(中部地方)などの栽培種である。
- 林浄因の子孫が創業した「塩瀬饅頭」も現在「志ほせ」という薯蕷饅頭を売り物とするが[19]、江戸時代の塩瀬饅頭は、小麦粉に"ふくらし粉"を混ぜたものだとされている[20][注 2]。ただし塩瀬当家の家伝によれば、林浄因の孫の林紹絆が中国に渡来し薯蕷饅頭の製法を学んで持ち帰ったとしている[22]。織部饅頭は、大阪屋の十七代当主が考案したという薯蕷饅頭の一種[23]。紅白饅頭も薯蕷饅頭でこしらえるのが常とされる[要出典]。
- 酒饅頭
- 酒母(酒種、麹に出芽酵母を繁殖させたもの)を使って小麦粉の生地を発酵させ、中に餡を入れた饅頭。虎屋饅頭とも呼ばれる。「酒饅頭」は長野市、新潟県長岡市ではあんまんのようなものであり、富山県や福井県三国では形状は平たくなり焼き印を入れてあり、岐阜県大垣市のものは茶饅頭のようなものであるなど地域によって形状、味覚、製法が異なる。酒饅頭を氷水で浸したものを水饅頭と形容する場合もある(後述)。あんパンのアイデアの基になった。
群馬県の焼きまんじゅうのように、菓子店ばかりでなく、軽食として一般家庭で作られる事もあった。
近年は、野菜の煮物や漬物などを餡として酒饅頭の生地で包んだ、かつての菜饅頭のような甘くないタイプの饅頭も登場している。
- ソーダ饅頭
- 小麦粉に重曹(炭酸水素ナトリウム)を用いて膨らました饅頭。菓子店の製品では炭酸饅頭と呼ばれる事もある。酒饅頭に較べて製法や重曹の入手が簡易である事から、明治時代以降に主に家庭で作られる事が多かった。黒糖を用いた物は、茶饅頭やふくれ菓子に似た風味となる。
- 塩饅頭
- 焼饅頭
- 主にカステラ風の生地で餡を包んだ焼き菓子の一種。唐饅頭、もみじ饅頭、栗饅頭、千鳥饅頭(福岡県)、乳菓、中華饅頭、かすてら饅頭、カステラ饅頭、都まんじゅうなどがこれにあたる。洋菓子や中華菓子(月餅)の影響を受けて明治時代以降に発達したとされる。カステラ生地の饅頭については、アンパンを考案した銀座の木村屋総本店の近所にあった毛利商店がアンパンの皮を変えて「ぱんじゅう」として売り出したのが最初と言われる[24]。オーブンで焼く物(オーブン物)、鉄板で焼く物(平鍋物、平物)などがある。さらにパイ皮やビスケット生地、スコーン生地を用いたより洋菓子に近い物(宮崎県のチーズ饅頭など)がある。また、長崎県の一口香や北海道(道央)のわかさいものように独特の製法の物もある。
- 葛饅頭
- くず粉を用いて作った透明の生地で餡を包んだ夏季の生菓子。福井県小浜市の名産で、蒸すプロセスは無く、くず粉を溶いた透明な生地に餡を封じ込めて型にいれて、地下水(湧水[27])を湛えた水槽(水舟[28])に放って冷やす[27] 。型には大ぶりの猪口が使われる[28][注 3]。葛桜、水仙饅頭とも言う。そのまま器に盛って食べるのが一般的だが、冷水に浸して食べるものもある。
- 水饅頭
- 葛饅頭と同様だが[注 4]、生地に適量のわらび粉を混ぜて作ることで水っぽくならずに長持ちするという[29]。岐阜県大垣市のものが知られる[29]。奈良県御所市でも初夏の祭りに合わせて販売される。
- 味噌饅頭
- 小麦粉に味噌を練りこんで蒸したもの。餡の甘みと味噌の辛味がうまく合っている。静岡県浜松市の細江から引佐近辺では、黒糖を用いた小麦粉の皮で黒餡を包んだ茶饅頭の一種を、色が味噌に似ているため「みそまんじゅう」(あるいは「みそまん」)と呼ぶ。
- その他
- 皮が非常に薄く餡が透けて見える破れ饅頭(白く霞んだ視界に見立てて吹雪饅頭などとも)、マシュマロ生地を用いた物(福岡県の鶴乃子)、ういろう生地の物(大分県中津市のういろう饅頭など)、湯で練った米粉生地を用いた物(鹿児島県の伊集院饅頭、岩手県のぶちょうほう饅頭など)、かるかん饅頭、落雁生地の物(兵庫県赤穂市の塩味饅頭など)、粟餅の生地の物(福島県の粟饅頭)、はったい粉生地の物(天妃前饅頭(ただし、はったい粉は餡に用いている)、春華堂の「麦こがし」など)などがある。

- よもぎまんじゅう
- 皮の生地にヨモギを練りこんである。
具の種類
[編集]日本では特に甘い小豆餡が基本であるが[30][31]、他の豆類[31](白餡[32]等)や芋の餡も使われてきた[30][33][注 5]。饅頭の具に限らないが、小豆餡には、漉した「こしあん」と、粒を残した「つぶあん」(「つぶしあん」)がある[15]。
饅頭には、極端に汁の染み出しが多いようなものでなければ様々な種類の餡を中に詰め込んで作ることはできるが、もみじ饅頭など鉄板で焼くものについては手軽に中身を入れられることから特に種類が多い。
地方の名産
[編集]北海道
[編集]東北
[編集]関東
[編集]
中部地方
[編集]
近畿地方
[編集]中国地方
[編集]
四国
[編集]九州
[編集]
- 為朝饅頭
- 博多通りもん
- 福岡県の菓子。博多に伝わる和菓子の伝統に、バターをはじめとする西洋菓子の素材を取り入れた博多の傑作まんじゅう。
- じゃがいも饅頭[39]
- 松露饅頭
- 佐賀県唐津市の菓子。名前の由来は形が松露に似ていることから。
- 蜂楽饅頭(ほうらくまんじゅう)
- 千両饅頭
- 熊本県の菓子。島根県でも作られている。小判の形をしており、表面に千両の焼印が押され、中身は白餡である。
- 慶徳饅頭
- 熊本県の菓子。
- 長者饅頭
- 熊本県の菓子。
- にしめ万十
- チーズ饅頭
- 宮崎県の郷土菓子。
- 加治木饅頭
- 鹿児島県姶良市の郷土菓子。
- 伊集院饅頭
- 鹿児島県日置市の菓子。米粉、砂糖を湯で練った生地を用いて、餡を包んだ物。
- 鶴饅頭
- 鹿児島県出水市の菓子。
行事で配るもの
[編集]
その他
[編集]
沖縄の饅頭
[編集]那覇等で販売。サンニン(ゲットウ)を使って香り付けする。本島では大小に関わらず、紅芋を使っていることが多い。一般的には和菓子の饅頭より大きい。
饅頭切手
[編集]1777年(安永6年)、大阪の菓子店「虎屋伊織」は、現在の商品券に相当する饅頭切手を発売[42](切手の項も参照のこと)。酒や醤油、うなぎに至るまで、商品券の手法を広めるきっかけとなった。虎屋伊織は、饅頭切手で財を成したが、後年、饅頭切手の乱発がたたり経営に苦しんだという[43]。
派生語
[編集]- 饅頭笠
- 饅頭形の笠の一種。
饅頭 ()- 饅頭形のアイロン用具の一種。アイロン#関連用品を参照。
注釈
[編集]出典
[編集]参照
- 1 2 3 4 並松信久「和菓子の変遷と菓子屋の展開」『京都産業大学日本文化研究所紀要』第26号、299–298頁、2021年3月。hdl:10965/00010550。
- 1 2 喜田川季荘 著、室松岩雄 編『類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿』 下、国学院大学出版部、1908年、444–446頁。
- ↑ 西村文則『日本文化生活』雄山閣、1924年、508頁。
- ↑ 川島 2006, pp. 13, 16–19.
- ↑ 安達巌『日本食物文化の起原』自由國民社、1981年、244頁。NDLJP:12205705。「肉饅頭または菜饅頭であった。しかし仏教の本拠奈良で肉饅頭を売るわけにはいかない。そこで彼は肉の代りに肉の色をした小豆あんを開発し、これをまんとうでなくまんじゅうとしたのである。こうすれば禅家の点心としてだけでなく、一般の茶の子としても..」
- 1 2 安達巌『日本型食生活の歴史』新泉社、2004年、104頁。「中国の饅頭は肉入り饅頭であって、精進ものではない。そこでかれは、肉のかわりにアズキあんを用いた。そのために、これがわが国に定着するにいたったのであるが、それは薬饅頭であった。この林浄因は..」
- 1 2 樋口清之「菓子の系譜」『歴史と地理 : 日本史の研究』91/通号237、1975年6月、NDLJP:7940088。「肉饅頭をまねて小豆あんの塩味の饅頭が林浄因によってもたらされ、羊のシチューをゼラチンで固めた羊羹が、小豆と澱粉の蒸羊羹となり、さらに寒天を入れて練羊羹となった。いずれも塩味で、小豆はその色の関係で肉の代用とされた。」
- ↑ 安達巌 (1981)[5] (2004)に詳しい[6]。樋口も手短に肉の代用だったとはしている[7]。
- ↑ 川島 2006, p. 176.
- ↑ “まんじゅうの杜 林神社”. 漢國神社ホームページ. 2018年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月23日閲覧。
- ↑ 川島 2006, p. 19.
- 1 2 八巻俊雄『広告』法政大学出版局、2006年、56–57頁。ISBN 9784588213014。
- 1 2 横田雅博『おきりこみと焼き饅頭:群馬の粉もの文化』 農文協 2018年 ISBN 978-4-540-18156-6 pp.17-40.
- ↑ 宮内昭、西浦孝輝「菓子 : その2」『調理科学』第17巻第3号、調理科学研究会、1984年9月1日、157頁。
- 1 2 3 「知識で味を深めよう:和菓子塾」『Hanako FOR MEN』第19巻甘党です。、2016年、18頁。
- ↑ 又次宮本『関西と関東』井青蛙房、1966年、190頁。
- ↑ 『Hanako for Men』右欄: "..薯蕷饅頭をふっくらさせるつくね芋(山芋)もなくてはならない材料だが.."[15]。
- ↑ 田附きつ「薯蕷饅頭の皮のレオロジー的性質」『家政学雑誌』第36巻、第2号、93–101頁、1985年。doi:10.11428/jhej1951.36.93。
- ↑ 『和菓子の辞典』 1983年、179頁。
- ↑ 松尾夜城『和菓子物語』井上書房、1960年、104頁。
- ↑ 全浴連(本書)編纂委員会 編『公衆浴場史』全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会(全浴連)、1972年、78頁。
- ↑ 川島 2006, pp. 13, 176.
- ↑ 『和菓子の辞典』 1983年、187頁。
- ↑ 『商売打明話 : 家庭の経済知識』 時事新報社経済部編、宝文館、1929年、70頁
- ↑ 入江織美、ひらのりょうこ「東海・中部 §旭園本店」『日本のお菓子: 美味探訪』山と溪谷社、1990年、207頁。ISBN 9784635810012。
- ↑ 『デジタル大辞泉』「栗饅頭 クリマンジュウ」の項、via Kotobank
- 1 2 「あんこが見える透明感…くずまんじゅう、涼感たっぷり 福井県小浜市の銘菓」『福井新聞』2025年7月5日。
- 1 2 3 入江織美、ひらのりょうこ「東海・中部 §伊勢屋」『日本のお菓子: 美味探訪』山と溪谷社、1990年、199頁。ISBN 9784635810012。
- 1 2 向笠千恵子 (2016-06-15), “お菓子の道(6)とろりと甘い水まんじゅう”, 広報とらっく, 食の新旧街道を行く―俯瞰食文化学の視点から 86 (全日本トラック協会<--Japan Trucking Association-->) (2064): 7
- 1 2 川上行蔵 著、小出昌洋 編『完本日本料理事物起源: 日本料理事物起源』岩波書店、2022年、680頁。「爾来饅頭の餡は素より、その他の餡もことごとく小豆餡であった。私は芋あん、胡麻あん、山椒あん等のあったことも知らんではない。だがそれは例外で滅多にはないことだった。あんと言ったら普通は小豆餡である。その小豆餡にはしぼり粉あんと潰し餡とがあったことは前にも述べた」
- 1 2 3 4 今村規子『史料でみる和菓子とくらし』淡交社、2022年。
- ↑ 守安正『お菓子の歴史』 10巻、東京書房社、1985年、91頁。
- ↑ 『菓子話船橋』(1841年)、明治・大正にも活字に起こされて参考書にされていた—所引、今村規子解説[31]。
- ↑ 「1-gatsu 1, 2-ka ni tokusei 'kaiun Matsumoto sekihan manjū' hangai. Matsumoto-shi no wagashi ten nado renkei」『Yahoo! News Japan』2026年1月1日。 信濃毎日新聞デジタルより天才
- ↑ 「バナナ饅頭: 懐かしのパッケージ復刻 100年超の歴史」『毎日新聞』2017年5月26日。
- ↑ 『北海道旅事典』昭文社、2022年、362頁。ISBN 9784398145017。
- 1 2 3 宮内 & 西浦 1984, p. 163.
- ↑ 『辞海』「いっかうかう 一口餻」の項。郁文舎 編、1914年。
- 1 2 3 楠喜久枝『福岡県の郷土料理』(第1版第2刷)同文書院、東京都、1984年10月15日、112-113頁。 NCID BN06140416。
- ↑ “ふくいミュージアムNo.53”. 福井県立歴史博物館. p. 2. 2022年4月20日閲覧。
- ↑ 季刊そばの国だより Vol.36 日穀製粉株式会社
- ↑ 江後迪子『隠居大名の江戸暮らし』吉川弘文館、1999年、156頁。ISBN 4-642-05474-X。
- ↑ 菓子博物館「お菓子の話」(山星屋ホームページ)
参考文献
- 『和菓子の辞典』John Wiley & Sons、1983年。
- 川島英子『まんじゅう屋繁盛記: 塩瀬の650年』岩波書店、2006年、13, 16–19, 66, 176頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『饅頭(←まんじゅう、菓子)』 - コトバンク
- もみじ饅頭餡剰余物「小豆皮」の菓子原料化技術開発 - 『広島県立総合技術研究所食品工業技術センター研究報告』〔広島県立総合技術研究所 食品工業技術センター〕から《『J-STAGE』より》
- THE MAKING (151)まんじゅうができるまで - 『Science Portal (サイエンスポータル)』〔科学技術振興機構〕より