別府総太郎
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別府 総太郎(べっぷ そうたろう、1883年(明治16年)5月17日 - 1931年(昭和6年)5月16日)は、日本の内務官僚。官選県知事。
経歴
[編集]山口県豊浦郡滝部村(豊北町を経て現下関市豊北町大字滝部)出身[1]。別府玄三の二男として生まれる[1]。第一高等学校を経て、1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り福岡県試補となる。
以後、福岡県理事官、群馬県理事官兼視学官、内閣書記官兼国勢院書記官、法制局参事官、拓殖事務局長などを歴任。
1924年6月、島根県知事に就任。1926年9月、奈良県知事に転じた。1927年5月、栃木県知事に就任。1928年6月、同県知事を辞任し退官した。1931年5月16日死去。享年47。
栄典
[編集]- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[2]
脚注
[編集]参考文献
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