コンテンツにスキップ

清水市太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水市太郎

清水 市太郎(しみず いちたろう、1865年11月14日慶応元年9月26日[1]〉- 1934年昭和9年〉12月19日[1])は日本の衆議院議員立憲政友会政友本党)、弁護士。

経歴

[編集]

尾張国知多郡鬼崎村(後の愛知県常滑市)出身。1889年明治22年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、イギリスミドル・テンプルに留学した。帰国後に判事試補、海軍大学校教官、東京帝国大学法科大学講師を歴任し、日清戦争の際には捕獲審検所評定官を務めた。その後は法制局参事官[2]を兼ね、退官後は弁護士を開業。

1899年(明治32年)には小栗富治郎の欧米視察に随伴した。1908年第10回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後合わせて6期の当選を数えた。

脚注

[編集]
  1. 1 2 故清水市太郎位階追陞ノ件
  2. 官報』第4013号、明治29年11月12日

参考文献

[編集]