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米田壮

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

米田 壮
よねだ つよし
生年月日 (1952-04-07) 1952年4月7日(74歳)
出生地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
出身校 東京大学法学部
称号 瑞宝重光章

在任期間 2013年1月25日 - 2015年1月23日
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米田 壮(よねだ つよし、1952年(昭和27年)4月7日[1] - )は、日本警察官僚。第24代警察庁長官

来歴

兵庫県神戸市出身[2]灘中学校・高等学校[3]東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[4] 。1976年警察庁入庁。

警察庁採用者では初の灘高出身者。東大時代は軟式庭球部の主将だった[2]。入庁後、当初はいわば法制官僚として法律の作成に従事することが多かったが、途中から刑事部門へ移る[2]

警視庁目黒署長を歴任後[5]、1986年春、34歳の時に大阪府警捜査第二課長として着任した[6]。この前年、豊田商事が経営破綻し、会長の永野一男が刺殺されていた。豊田商事が経営破綻した時の捜査二課長は、米田の1年先輩で刑事のエースと評価されていた[7]。本来は、この先輩が詐欺罪立件まで留任するのがベストの選択であったが、人事の都合で新しいポストに移らざるを得ず、代役として米田に白羽の矢がたった[7]。豊田商事は大きな企業グループの体裁を取り、グループ企業間やグループの内と外とで、複雑な金銭のやり取りをし、ある時点までは事業と詐欺の区別がしがたく、またトップは殺されているため、誰もがトップの責任にしたがるなど、事件になりにくいケースであった[8]。だが、1年かけて捜査を進め、破綻が不可避となった時点以降も客を勧誘し、金銭を受け入れていたことを詐欺と捉え、営業、財務の双方を承知している最高幹部の役員5名を被疑者として、詐欺事件を立件した[8]

1997年から和歌山県警、2003年から京都府警の本部長を務める。いずれも1年7~8か月程度の在任期間であったが、和歌山時代に毒物カレー事件に遭遇する[9]。2007年には吉村博人警察庁長官の下で刑事局長に就き、取調べの録音・録画に踏み切り[10]、2009年に官房長に就任すると、警察庁幹部のなかで最初にスマホを持った[2]

2013年1月、第24代警察庁長官に就任し、2015年1月退官。

略歴

脚注

  1. 1 2 略歴書”. 丸紅株式会社 (2025年4月1日). 2026年5月14日閲覧。
  2. 1 2 3 4 野地 2021, p. 89.
  3. 霞が関ふるさと記 警察庁の米田長官は灘高卒[兵庫県・上]”. 現代ビジネス (2014年12月22日). 2015年9月1日閲覧。
  4. 『東大人名録,第1部』1992年発行、9ページ
  5. 『日本警察官僚総合名鑑』 p.267
  6. 野地 2021, p. 102.
  7. 1 2 野地 2021, p. 103.
  8. 1 2 野地 2021, p. 104.
  9. 野地 2021, p. 107.
  10. 野地 2021, p. 98.
  11. 「神戸市顧問に前警察庁長官・米田氏ら 4月から」神戸新聞2015/3/10
  12. 「人事、日本取引所グループ」日本経済新聞2015/4/28
  13. 「役員一覧」株式会社日本取引所グループ
  14. 日本取引所グループ役員略歴 - 米田壮 - ウェイバックマシン(2022年1月2日アーカイブ分)
  15. 『官報』号外第97号、令和4年5月2日

参考文献

  • 小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年2月。ISBN 978-4787491053
  • 野地秩嘉『警察庁長官』朝日新聞出版朝日新書〉、2021年9月。ISBN 978-4022951410 
先代
片桐裕
警察庁長官官房長
2009年 - 2011年
次代
金髙雅仁