銀座音楽祭
銀座音楽祭(ぎんざおんがくさい)は、銀座音楽祭実行委員会(ニッポン放送)の主催により1973年から1990年にかけて開催された、新人歌手対象の音楽祭である。開催時期は10月第1月曜日。文化放送「新宿音楽祭」、ラジオ日本「横浜音楽祭」、ABC「ABC歌謡新人グランプリ」と並んでラジオ局による歌謡新人賞レース序盤の重要な大会であった。後援はフジテレビジョン。
概要
[編集]大会名はニッポン放送の本社(有楽町)に程近い銀座に由来されているが、第1回は開局20周年記念番組として中野サンプラザで開催。当時はサンプラザ音楽祭の名称であった。昭和50年の第5回にスター部門を新設し、「銀座音楽祭」と名称を改めた。
会場は日劇、東京宝塚劇場、赤坂プリンスホテル「クリスタルパレス」と移行している。
放送時間は18時から20時30分まで、2時間半の生放送であった。ただし、上期発表時、プロ野球中継があったときは試合終了後、録音放送されることもあった。また1989年まではフジテレビの『土曜スペシャル』で90分(後に75分)編集版が関東ローカルで、テレビ放送されていたことがある[注釈 1]。
大会は基本的に3部構成で、第1部は参加歌手による歌唱。第2部はラジオディスクグランプリ発表。第3部は審査結果発表・グランプリ受賞者再歌唱となっている。
参加資格は音楽委員会が毎月開催される新人試聴会から選出しグランプリ(最優秀新人賞)などが決定されていた。
第17回(1987年)から、「歌謡ポップス部門」「演歌部門」「フォーク&ロック部門」に細分化された。
本選の数日前には大銀座まつり会場内でパレードが行われていた。これは大銀座まつりが銀座音楽祭に協賛されたためである[注釈 2]。
音楽の多様化により音楽賞への出演を辞退するアーティストが続出したことと音楽賞番組の乱立により、1991年5月、1つの賞では決められなくなったことを理由に終了が発表された。
授賞規定
[編集]- グランプリ(末期には最優秀新人賞と名乗っていた)
- 受賞者に対してトロフィー、賞金の他、フジテレビ賞、大銀座まつり賞、スポンサー賞(東鳩製菓など)が贈られていた。
- 金賞
- 銀賞
- 審査員特別賞
- 大衆賞
- 銀座音楽祭賞(同音楽祭に出場された歌手全員に贈られていた)
- 熱演賞
- アイドル賞
- ラジオディスクグランプリ
司会
[編集]- 下記の司会者のうち、タレントの司会者は担当当時ニッポン放送の番組パーソナリティ、くりは当時ニッポン放送アナウンサー。
受賞者一覧
[編集]第1回(1973年)
[編集]第2回(1974年上期)
[編集]第3回(1974年下期)
[編集]第4回(1975年上期)
[編集]第5回(1975年下期)
[編集]第6回(1976年)
[編集]第7回(1977年)
[編集]第8回(1978年)
[編集]第9回(1979年)
[編集]第10回(1980年)
[編集]第11回(1981年)
[編集]第12回(1982年)
[編集]第13回(1983年)
[編集]第14回(1984年)
[編集]第15回(1985年)
[編集]第16回(1986年)
[編集]第17回(1987年)
[編集]第18回(1988年)
[編集]第19回(1989年)
[編集]第20回(1990年)
[編集]TV中継スタッフ
[編集]1985年当時
- 主催:銀座音楽祭実行委員会
- 協賛:大銀座まつり実行委員会、(社)日本音楽事業者協会
- 演奏:ダン池田とニューブリード、豊岡豊とスイングフェイス
- 企画制作:ニッポン放送
- ディレクター:上原徹
- 制作著作:フジテレビ
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ “『ザ・ベストテン 中森明菜 プレミアムBOX』(5DVD: POBD-22043/7)”. ユニバーサルミュージック合同会社 (2012年3月28日). 2022年10月25日閲覧。
Disk1。1982年10月7日放送。第12回銀座音楽祭会場からの中継で、盾を持った中森の隣でアナウンサーが「専門審査員特別賞を受賞」と話す。